一般人にとって禅の精神は大変難解に思われる部分もあり、不立文字・教外別伝と言われるように、言葉では表現できない部分も多くあります。
しかし、一休禅師が村田珠光に示したことより起こった茶道の精神は、歴代の御家元も大徳寺に得度なされるなど、禅と不可分なものであります。
ですので、茶禅一味という言葉もよく耳にされるように、禅の知識と言うものが茶人には必須不可欠というようになっているのです。
拈華微笑(ねんげみしょう)という言葉があります。
釈迦の悟りというのは実に深淵なものですので、それゆえに言葉では伝えられない部分もあったようです。
言語を超越した悟りの境地を示されたところ、一輪の花をつまんだ釈迦が、迦葉(かしょう)尊者のみがその意味を理解してくれて、にこっと笑ってくれたそうです。
ここにおいて、禅宗という言語を超越する悟りを求めることが起こったと言われています。
知足(ちそく・足るを知る)という言葉もあります。
釈尊が臨終に臨み、人々に示した八つの教えの中の一つが「知足」というものです。
足ることを知る者は、たとえ貧しくとも持っているものに感謝の心がありますので、心については豊かだと思います。
しかし豊かな中でも足る事を知らないものにとっては、持っているものに対して感謝の心がないので常に外へ何かを求めて止まないと思います。
ですので、心はいつも貧しく、不安なものだと思います。
松平不昧公は「茶の本意は知足を本とす。」と述べているのを見ても知足と言うのは大事だと言う事です。